madoromiについて
初めてのブログ。
正確にいうと学生だった頃、pepsというサイトがはやっていて、その頃少しブログを書いたことがあった。
まぁ、そんなことはどうでもよくって。笑
今回もたくさんの人がNEWSの新曲madoromiについて考察ブログをあげていて、
読みたいなと思ったけど、先に自分で考察したら、もっと楽しいんじゃないか?と思ったから、はじめて、はてブロというものをしてみようと思いました。
色んな解釈に触れられることが、本当に楽しくて好き。
そんな訳で考察!
ひたすら妄想・想像・勢いだけで支離滅裂に書いていくので「無理!」って人はバックしたほうがいいかもです…。
madoromi
作詞 kaco
作曲 kaco
歌 NEWS
この曲はシングル『LPS』のカップリング曲。
『LPS』のMVは早朝に撮影されたそうですね。
そして、『madoromi』は「朝が迎えにきた」という詞からはじまる。
いわば、シングル『LPS』は<朝>をテーマにしたものなのかな。
テーマが15周年幕開けに相応しい初シングルだと思いました。
さて、ここから『madoromi』に対するわたしの一貫したイメージ。
これは本当に妄想。たぶん解釈は本家と違うと思うけど、でも、感じたことを残しておきたい。
わたしの中で『madoromi』は死別したふたりの曲だと思ってる。そして、いまは生きていない<君のとなりに居た僕>と、生きている<きみ>とのストーリーだと思う。
(たとえば<僕>は病気で、病気のことを<君>に言ってなかった。そしてある日発作が起きてしまった。サヨナラも言えないほど急に。)
そして何なら死別してからしばらく経ったあとの曲だと思っている。(激しい妄想すみません)
この前提条件の元、ここから曲の解釈にはいりたいと思う。
【朝が迎えにきた 空に浮かべた船に乗って】
これは夜明けを示唆しているのではないかな。
ちょうど<彼は誰時(かはたれどき)>のような。<彼は誰時>は、簡単に言うと<黄昏時(たそがれどき)>の朝バージョンです。<黄昏時>は、彼岸(ひがん/あの世)と此岸(しがん/この世)が混ざり会う時とも言いますよね。<黄昏>は<誰そ彼>とも言います。
話を戻します。
その<彼は誰時>、彼岸と此岸が絡み合っている時間なら<僕>に会えるかも、と<君>は想って空を見上げている。(わたしは海辺で砂浜に座っている姿を妄想してます)
何なら会えたのかもしれないです。幻でも。夢でも。想いこがれて、想い続けて。
【空に浮かべた船】は、雲だと思っているので、ここの歌詞は、
うっすらと雲のかかった空に太陽が乗っかる形で<朝>がやってきた。<僕>がとなりに居なくなってから<朝>を迎えることができない<君>を迎えにやってきた。
そういう風に解釈します。
あーやばい。切なくなってきた。
【君を好きなこと また会えるまで忘れないで】
生まれ変わったり、来世だったり。夢かもしれないけど、きっと会えると思うんです。<僕>がいなくなって<君>は朝を迎えられなくなった。
しんでしまったなんて、認めたくなくて。もしかしたら自分のことが嫌いになって離れていってしまっただけなんじゃないかって。自分がダメだったせいじゃないかって。自分のことが嫌いになりそうなほどに、自分を責めたかもしれません。ただただ、しんでしまった事実を認めたくないがために。
でも違う。<僕>は<君>のことが好きだった。
だから、そのことは忘れないで欲しい。<僕>が好きだった<君>を<きみ>にも好きになってほしいのかもしれないです。
【風に吹かれて 見えない場所へ
僕が隣にいなくても きみはきみのままで】
命の灯火、と言いますよね。
風に吹かれて消えてしまうほどに儚い灯火。
消えてしまうと、見えない場所へ行ってしまう。
もう<僕>が<君>の隣に居ることはできないけれど、<きみ>は<きみ>らしく生きてほしい。
僕の知ってる、僕を想ってる<君>としてじゃなくていい。<きみ>のままで生きてほしい。
<ぼくが死んでもいつまでも悲しまないでくれ(中略)ぼくへの愛はぼくの命と一緒に滅びればよいのだ>
というシェイクスピアの一節を思い出した。(そして本棚から必死で探した)
そういうことなのだ。(急に投げやり)
【幻が醒めてしまうまで せめてグッバイ ah グッバイ ah 】
この詞について、わたしは2つのことを思った。
①<幻>とはいつのことを言っているのだろう?
②<せめて>とはどの地点の発言なのだろう。
まず、①について。
ありそうなのは<彼は誰時>に会えた、この幻。
もうひとつ思ったのは<僕>と<君>が過ごした時間。
過ぎてしまえば幻のように思えるだろうから。
わたしは後者かな、と。
正確には朝がきみを迎えにきたこの瞬間までのこと、かな。
②について。<せめて、グッバイ>とは?
サヨナラも言えなかった。お別れもできなかった。
それもあって<僕>の死を受け入れられない。
だから、<僕>との幻が醒める前に、最後に、せめて<グッバイ>と言わせてほしい。
ここ。またね、のニュアンスのsee youではなくて、
サヨナラのニュアンスのgood-byeが使われてるっていうことが余計切ない…。
【頬を濡らした涙は 君の明日を咲かせるだろう】
泣けなかったのかもしれません。
受け入れられず。
だから、泣いて泣いて受け入れることができれば、<君>は明日を迎えることができる。
少しずつ笑うことがでくる。
そうやって少しずつ、前へ、進むことができる。
2番
【時をめくる度に 忘れていく事があっても】
1番では<僕>が隣には居られなくなったことを理解させる方面が強かったように感じますが、2番では、<君>はそのことを理解したような感じがしますね。
時が過ぎれば、少しずつ記憶は薄れていくものです。良い記憶も嫌な記憶も、本人が望む望まないに限らず、どんな記憶でも。<きみ>も忘れるかもしれない。空から見守ってる<僕>(または君の記憶のなかで生き続ける僕)も忘れていくのかもしれない。
【君と出会えた日は いつになっても宝物さ】
忘れていったとしても、宝物として残り続ける。
大切なものとして、いつまでも自分の中にある。<僕>から<君>への優しい想いが伝わります。
…しかし、こんな風に言われてみたいですよね…(心の声)
【悲しみなんて 星に紛れて いつか新しい世界を照らす明かりになる】
星っていうのはダブルミーニングかなって思います。
悲しいことも、嬉しいことも、生きていれば山ほどあります。それこそ星の数ほどに。
でも、それを乗り越えて、どんな想いも大切に大切にできたら、人は優しくなれるって思います。
そうして優しくなった<きみ>は誰かと結婚してこどもを産んで、新しい世界をあたたかく優しく照らすんでしょうね…(妄想)
それから、星になる<僕>のこと。
<夜になったら星を見てね。ぼくの星は小さすぎて、どこにあるのか教えられないけど。でもそのほうがいいんだ。ぼくの星は、夜空いっぱいの星のなかの、どれかひとつになるものね。そうしたらきみは、夜空ぜんぶの星を見るのが好きになるでしょ…ぜんぶの星が、きみの友だちになるでしょ(後略)>
サン=テグジュペリ星の王子さま。このフレーズだよね。
うん、そういうことです。(また投げやり)
そして、またサビ。
どんなひとにでも<朝がむかえに>くる訳です。
どんなに悲しいことがあってもね。
泣いた分だけ、悲しいことがあった分だけ、更にひとは人に優しくなれる。
明日、笑うために。笑顔を咲かせるために。
今日を生きていく。
kacoさん、NEWSさん。
ステキな曲をありがとうございました。
そして、読んでくれる人が居るのか不明ですが、もし居たなら、最後まで拙い文章を読んでくれてありがとうございました。